幸福にむかう「書く」習慣

【カフェ手帳タイム】今日も書いて幸せをキャッチ

カフェが好きなわけ。

それは、周囲の適度なザワザワ感。
想いごと・考えごとの邪魔をしない程度に感じる「人の気配」が、書きものをするのに心地よい。

ひとり時間のこうした手帳タイム(世間では「カフェタイム」とも言うらしい)は、頭も心もゆったり過ごしたい。

が、しかし。

ひとり時間、ゆっくりくつろげそうで案外そうもいかない頭の中がある。
なんだか脳内が活性づいて忙しいのだ。

なんだろう。

考える時間がたくさんあると、余計なことを考えてしまうのが、人間のサガなのかな。
空白があると、そこを埋めるように次から次へと雑念が巡ってくる。

さっきの自転車のおじさん危なかったなぁ。
家族はそれぞれいまごろ、どうしているだろう。
明日のお弁当は何にしよう。
その前に今夜のご飯どうしよう(簡単にすませたい:希望)
そういえば、ワセリンがなくなったって言ってたな。
マスクもあと少し補充しておいた方がいいかも。

今はこういうの考えたくない。
せっかくひとりで外カフェしているのだから、自分の心の内の書きものがしたいのに。

本来、自身を整えるはずのToDoリストが頭の中で大暴れし、四方八方へ広がり、挙句は疲れはじめる自分。

一旦、落ち着こう。

手帳を開いて、頭の中を書いてみようか。
たぷたぷしている脳内を、全部出してしまおう。

カフェをはしごし、手帳に脳内浮遊物を書き出すこと、4ページ分。
頭の中がいっぱいと思っていたけれど、たいした量じゃなかった。

書いてみて気づくのは、ほとんどが家族のことだということ。

学校のことや仕事のこと、みんなの将来のことや、家の修理しなければならない部分のこと。

そういえば靴がもう小さいって言ってた、
そういえばワイシャツがもう微妙って言ってたな(微妙って何?)、
なかなか自分に合う美容院が見つからない〜、とイライラしてたな・・・。

などなど。

そうそう、いつもこうなんだ。

こうして文字に起こしてみるとわかるんだ。
自分以外の家族のことばかり。

でも、こうして悩んで迷っている時間があるのって幸せなのかも、って思うんだ。


悩むのは苦しいし面倒だけど、

必ずやってくる未来を、こうして考えていられるのも今だけなんだ、って。
嬉。

隣の席のおばさまたちの楽しそうで小気味いい俳句の話に、私も自分の将来の明るさを期待し、今日の夕飯のおかずを考える……

なにか簡単なもの(何度も連呼して希望)。

簡単で、
かつ少し手が込んでいるように見えて、
おいしくて、
よろこばれて、
ボリュームがあって(食べ盛り男子用)、
雑談しながら食べられるもの・・・

コーヒーをひとくち、口にふくむ。

晴れやかな気分で、
今晩のおかずを考える、考える、考える。

なんて幸せなカフェタイム、手帳タイム。

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