毎日毎朝、私は航海日記を書くつもりで手帳を広げる。
体の中にスゥっと風が吹き、胸の内でゆっくりと帆をあげ、今日の風(自分の様子)を読む。
その時の私は、無意識に手帳から顔を上げ、斜め上をみる癖があるようだ。
(最近、気づきました)
(ホットが飲みたくなるのは、確実に秋が近づいてきている証。)
目線は少し先の上を見ている。
けれど意識の向かう先は、おそらく心とともに別の空間へアクセスしていて、そこから言葉をダウンロードしているようなのだ。
無駄なエネルギーは必要なく、流れてくるものを自分という器に入れるような。
私はこの瞬間を《つながった》として、メモしておく。
(この日はPCは持たず、自由な考え事をするためにカフェへ)
本来、手帳はもっとロジカルに使い「行動をサポートしてくれるツール」と表現するものなのかもしれない。
けれども私の場合、手帳はつながる場となっている。
もはや「空間」というべきかな。
自分の内なる声、すぐそこの目標、ちょっと先の夢。
それらへ向かうための設計を書き出すことで、しあわせな気持ちが膨らんでいく。
手帳には、未来も過去も現在もある。
すべての時空が、私を中心として交わる場。
遠くにある願いを叶える通過ポイントとして、手帳は給水所のようなものなのだ。
自分の航路を走り切るための。