マルクス・アウレリウスは
言いました

君はいつでも好きな時に自分自身の内にひきこもることができるのである。
実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠れ家を見出すことはできないであろう。
絶えずこの隠れ家を自分に備えてやり、元気を回復せよ。
そして(そこには)簡潔であって本質的である信条を用意しておくがよい。

『自省録』(マルクス・アウレーリウス)

  時代に流されないリトリート

旅に出るのは帰る場所があるから。
安心して遊びにいけるのは、おかえりと迎えてくれる信頼があるから。
人の強さを保つものは、結局は、無防備でいられるよりどころの存在です。

時代は目まぐるしく変わり、 置いていかれないように、今日も必死にしがみつきます。
けれど、そんなしがみつきもずっと続けられるわけではなく、あるとき「わたしはわたしでいいや」と手を離したくなる日がおとずれます。

そして思うのです。

「自分に与えられた時間の速度を速め、周囲を感じる余白もなく、触れるべき季節の美しい移り変わりを追い越してまで、わたしは何をつかもうとしているのだろう」と。
変動の激しい現在を呼吸する今こそ、帰る場所を必要としているのだと感じます。

わたしはこれを「つながる場」と呼んでいます。

つながる肌感、つながる音、つながる本、つながる場所、つながる香り、つながる味。
自分の中に何かよりどころへの「つながれる」通路をつくっておくと、呼吸の深さが変わります。
安心の密度がちがうのです。

まゆねね つながる場

疑わず信頼できる日々を、ただ泳ぎたいだけなのに・・・
そう、もがく毎日もあります。

けれど、誰の中にでも「つながる場」は存在すると、わたしは信じています。
それぞれの内にひそんでる「本質」と呼ばれるものです。

わたしたちは、疲れてはそこへ帰り自分とつながり、 自分に還ったことを確認できると、また社会へと旅に出る。
これまでそうやって生きてきて、これからも生きていくのです。

周囲の複雑さに呑まれているとき。
そんなときこそ、自分の内のつながる場(自分の本質)へリトリートすることが重要だと思うのです。

みなさんは自分の隠れ家へつながる秘密の通路を、もう見つけられていますか?

ここ『百年のひとつ』は、
まだまだ模索中のわたし(まゆねね)が、日常のちいさな発見にちいさく感動できる感性を育み、そこを糸口にしながら「自分がつながれる場」を探求していく歩みの記録です。  

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