カメラで収める情景詩

【感性の源泉】日常の瞬間に宿る尊さの気づき

いつものようにリビングで書きものをしていた時のこと。
ふと窓の外を見ると、花壇のなかの一輪のバラの花が、そこだけスポットライトを浴びて風に揺られている。

一点に落ちる光の具合と、風の揺らぎの加減が絶妙で、
「いま写真に撮ったら綺麗だろうな」
そう感じた。

けれど、その時は机から離れたくない作業をしていたので、外の一輪のバラが気になりつつも作業を続けていた。

気になる、気になる。
何度も外を確かめる。
まだ平気だ、もう少し、もう少し。

そんなことをしている間に作業に集中し、外のバラの存在がわたしの中から数分消えた間に、その瞬間は過ぎ去り、バラは影の中にスッポリ入ってしまっていた。

その時、は一瞬だった。
その時、はもうないのだ。

二度と同じゆらぎもなければ、光の当たり方もない。

わたしもまた、同じ感情を抱くとも限らない。

今はまだ新鮮な記憶があってこれを書いているけれど、時間がたてば、「ああ、そうだったのか」「そんなことがあったっけ」と風化していってしまう。

思ったことは逃してはいけない。

その時、心や視線が止まったのであれば、すぐにそれを掴みとらないと通り過ぎてしまう。

たった一本のバラの、数分の光のもと風にゆられていたという情景。
どこにでもあるし、今後もふたたび同じような光景を見ることもあるだろう。

でも。

次の日、今日こそはとリベンジ。
明らかに、昨日より一日分だけ花びらが反り返っていたそれを、一枚だけ撮った。

たぶん昨日とは違う気持ちで。

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