やさしさ遺産

【鑑賞者に広がる余白の世界】是枝裕和監督の映画『真実』

是枝裕和監督の映画『真実』。

ストーリーが体の中に立ちとどまることなく、私の中を吹き抜けていった爽快感のある鑑賞後。
想像以上に、風通しのよい気分で観ることができました。

こういう映画って、きっとこの先も何度も観てしまう。
自分の年齢の重なりと、その時のタイミングで感じ方が変わるから。

ここに、今の私の感触を残しておこうと思います。

この映画は、是枝監督作品というだけでなく、カトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュというフランスを代表する二人の女優が母娘を演じており、豪華なキャスト陣の演技も魅力の一つとなっています。

(カトリーヌ・ドヌーブとジュリエット・ビノシュ)

是枝監督の書いたこの映画の関連本、
『こんな雨の日に 映画「真実をめぐるいくつかのこと」』は読んでいたのですが、なぜか映画はずっと観ずにいました。

(映画、小説、演劇、絵画、陶器など、モノづくりをする人たちの苦悩や喜びが書かれている本が好きで、何度も読んでしまいます)

先日、『こんな雨の日に 映画「真実をめぐるいくつかのこと」』の文庫本が発売されました。
(改題「映画の生まれる場所で」
文庫化するにあたり新たに加筆もあるということで、購入即決でレジへ。

この機会に、まだ観ていなかった映画も観てみよう。

映画『真実』:是枝裕和監督が描くヒューマンドラマ

是枝監督の映画で、個人的に特に印象にあるものは『海街diary』。
鑑賞後、穏やかな波のような透明感が、静かに自分のなかに浸透していくような映画でした。

今回の『真実』もやはり、鑑賞後は不思議と爽やかな後味。

(フランス大女優 カトリーヌ・ドヌーブ

映画『真実』のあらすじはこちら。

世界中にその名を知られる、国民的大女優ファビエンヌが、自伝本「真実」を出版。
海外で脚本家として活躍している娘のリュミール、テレビ俳優として人気の娘婿、そのふたりの娘シャルロット、ファビエンヌの現在のパートナーと元夫、彼女の公私にわたるすべてを把握する長年の秘書―。
“出版祝い”を口実に、ファビエンヌを取り巻く“家族”が集まるが、全員の気がかりはただ一つ。「いったい彼女は何を綴ったのか?」
そしてこの自伝に綴られた<嘘>と、綴られなかった<真実>が、次第に母と娘の間に隠された、愛憎うず巻く心の影を露わにしていき―。

Amazonより抜粋

この物語の中で、娘の婿役のイーサン・ホークがいい感じで、家族空間に合いの手を入れます。
フランス語がわからない彼の存在が、たびたびの母娘の緊迫した空気をやわらげていきます。

淡々とストーリーは進むのだけれど、その中に観る側それぞれの感じたことを、しっくりと残せる時間を与えてくれるような、

感じ取る余白と時間をたっぷり残しているような、

押しつけや圧迫のない、
受け入れの形を自由に観る側にゆだねている、そんな映画だと感じました。

これら余白を含む空気感は、フランス映画を流れる空気なのでしょうか。
それとも、是枝監督の「らしさ」なのでしょうか。

映画『真実』の魅力を紐解く『映画の生まれる場所で』

映画『真実』にまつわるこちらの書籍。
(文庫本発売に際し、加筆・改題したようです)
創作日記あり、絵コンテありで目を飽きさせることもなく、おまけにライトな文脈で一気に読み終えてしまいます。

是枝監督が映画作りの進行中に考えていたこと、現場をとりまく環境や状況が、かみ合っていたり微妙にズレていたり、大きくかけ離れているのを監督がみずから寄せにいったり。

映画監督って、作品を束ねるだけじゃないんだな、というのが率直な感想。

他者に、考えや希望を伝えることは難しいです。
ただでさえ難しいのに、海外の人に伝えるのは、当然、難易度が上がります。

ですが、是枝監督は、この誤差を埋めるのが上手なのだと思いました。
監督は例え話が上手いのです。

たとえば、怒りの強弱を伝える場合。
演技の中の「怒り」ひとつとっても、「理性での怒り→感情での怒り」とシーンで段階を踏んでいきます。
(こういう繊細な心の動きに気をかけるところが、是枝監督の作品の柔らかさを出しているのかもしれませんね。)

この「理性の怒り」を相手のフランス女優に伝えるのに、

「学級委員が席につかない不出来な生徒をしかるようなー」

と、表現して伝えています。
怒りMAXにならずにここはまだねばってください、と。

具体的であり、かつ感覚的な描写を伝えることで、自分が思い描いている空気ごと相手に伝わるのです。

この本からは、そういった心理描写や台本には書かれていない気持ち・気分、直接的な動作にも表されない心の動きなど、綿密に想定し練られていることが伺えます。

モノを創作するということは、こういうことなのですね。
自分の創作物を差し出す向こう側、またさらにその向こう側にも触れて、丁寧に作り上げていくものなのです。

このような本と出会うことで、映画ほどの大きな創作をしていない暮らしでも、生活のひとつひとつの所作を丁寧にしてみようと思わされます。
(いつもより丁寧に洗濯物をたたもう、いつもより時間をかけてフライパンを洗おう、など)

言葉と習慣の壁を超える魔法のような気遣い

『映画の生まれる場所で』を読み進めると、言葉と習慣の壁にも意識が向きます。

日本とは違う家族のあり方・親子の距離といったストーリーに直接関わることだけでなく、映画作成の際の国の考え方など、たくさんの溝があります。

日本語のニュアンスをフランス語に置き換えることの難しさ。
ひとつの作品から生み出される、視聴後の受け入れられ方・感覚の違い。

日本とフランスの合作映画とする中で、どんなバランスで両国の比重を置き、それぞれ抱く違和感を乗り越えていくのか、その身のこなしが勉強になりました。

一方、脚本には描かれることのない是枝監督の助言や、スタッフを通して届ける監督のはからい(気遣い)が、小さな魔法みたいに効力を発揮します。

是枝監督は、人間の微妙な感情や葛藤を丁寧に描くことで知られています。
監督のこうした普段の気遣いが、そのまま映画の雰囲気を包んでいるのです。

映画監督は、やさしさが必須なのかもしれません。
そして相手(俳優)を、いかに気持ちよく演じさせることができるか(これは、スムーズに事が運ぶことにつながる)を、常に考えているのです。

スノーピークのチェアに座って、カラフルなパラソルさして、大ぶりなサングラスして、遠くでモニターをじっと見ているイメージは古かったんだな(さすがに古すぎますね、笑)

絶妙の違和感を残しつつストーリーは進み、軽やかに物語は閉じられます。

【表と裏・光と影】『真実』のコントラストが紡ぐ深まりと膨らみ

映画『真実』と、書籍『映画の生まれる場所で』

映画が「表」だとしたら、書籍は「裏」です。
両方に触れることで、表の華やかさと裏の地道さが浮き彫りにされます。

光を引き立たせるのは「影」
影の深みを補うのは「光」

表(映像)にある、あの「余白感」を引き出すための、裏側(創作過程)にあるひとつひとつの「地道な刻み」。

そして劇中の、「母の思い」「娘の思い」。
対岸にあるそれぞれが、お互いを引き立たせる関係にあるのです。

まさに、『真実』というタイトルの、嘘をめぐる物語。

文庫本が発売されたタイミング
それを見つけたタイミング
なんとなく観ないでいた映画をいま観たタイミング
現在の私の気持ちのタイミング。

あらゆる偶然がイマココを作っています。

この偶然を、今後の私の暮らしへ繋ぎ結んでいこう。

最後に、映画と書籍から感じ得た、インスピレーションワードリスト。

・雰囲気
・空気
・空間
・感触
・読後感
・透明感
・距離間
・ちょい甘辛
・甘すぎない上書き

さて、これらの空気をいっぱい含んだこの心地を、暮らしのどこへ流し込み、泳がせてみようかな◎

(記事内の映画の本編画像はAmazonより)

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