幸福にむかう「書く」習慣

ノートと手帳の未来を想像すると【かっこよく生きたい欲を刺激する】

ずっと先の未来に、私の人生を調べている“ナゾの誰か”がいると想像してみます。

自分の先祖を探るのか、何かの課題で調べるのか、理由はどうであれ私の人生を知りたくて調べている誰かいて、私の手帳やノートに書かれた言葉や、cloudに残された行動の記録の意味を探っていく…、そんなシーン。

こんなことを想像すると、決して表には出さないで私だけが抱いている「秘めているもの」を持つのもいいな、なんて思います。
誰にも言えない私の奥、真意。
誰にも知られたくないけれど、いつか誰かに気づいて欲しいこと・・・など。

たとえば、こんなのはどうだろう。
300年先から、いま、自分が立っている一点を見てみる。
300年後に、私の人生を指でなぞる人物の存在を想像してみるのです。

ネットに綴られた私の文章やメモと(300年後にネットってあるのかな)、手帳やノートに書き残された言葉や文脈を行ったり来たりしながら(300年後も手帳やノートの手書きは存在するはず。「書く」は尊い祈りだからね)、どれが本音でどれが建前なのか審議していく、300年後の誰か。

私の手帳やノートに書かれている複雑なことばの結び目を、ひとつひとつ丁寧にほどいた末に、呆れるくらい単純な真相が姿をあらわす(笑

「なんだよー、結局これかよー」

と疲れきった誰かをクスッと想像したり。

(300年という月日が現実的でないと気抜けするのなら、100年後に自分の孫?ひ孫?たちが自分の手帳やノートを読むと想像してもいいかもしれませんね)

すると、です。

今の自分の生き方を、かっこよくしたいなという気持ちに駆られます。
どうせなら、あたたかさと強さをたっぷり含んだ、泥臭い人生ストーリーにしたいな、と。
淡々と時代に流されながら、制限ある身の丈の囲いのなかで、精一杯生きる姿を描きたい。

そんなことを考えるのです。

カメラ(ライカ)と手帳

みなさんはいかがでしょうか。

無気力だわー、なんて言ってられない!という雰囲気が、じわじわやってきませんか。
走り出したいくらいの恥ずかしさも(!)、
自転がとまるほどの勘違いも(!!)、
人生を彩るよきスパイスとなっている、と思えてきませんか^^

そして、それらを「書きたい」「残したい」という思いがうずいてきます。
書くために、
心を動かしたくなる → なにか行動したくなる
そんな心の変化に気づくのではないでしょうか。

100年のひとつどころか、300年いや500年のひとつの気持ちや行動の記録が、ここにあります。

起こりうるすべてをドーンと受け入れて、恥をかきながら素敵な人生を生きようか。

もしかしたら生まれかわった来世の自分が、次の未来で今の私の文脈のナゾを探求するのかも◎


今回も私の妄想エネルギーチャージにお付き合いいただき、ありがとうございました。
とてもとても暑いですが、素敵な8月を過ごされますように☆

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