カメラで収める情景詩

《Leica》人生は「なんか好き」で紡がれる旅のようなもの

この記事は、写真展「ソール・ライターの原点」へ足を運んだ際に撮影した写真とともにお届けします。
カメラに興味のある方も、そうでない方も、ぜひご自身の夢中になれるものと重ねて読んでみてください。

このカメラを所有できるうれしさを記事にしたいと強く思ったのに、どんなに考えても言葉がみつからない。

理由を探すというのは、頭をロジカルに働かせること。
その作用が鈍るというのは、おそらく私にとってこのカメラの魅力は、理屈じゃなく感覚的に心に響いているのだろう。

・カメラが好き
・写真が好き
・1枚を撮るまでの工程や、そこに乗せられていく気持ちが好き

こうした自分の気持ちが充実していく重なりはあっても、
「なぜ好きなのか」が追いつけないところへ、私の心は持っていかれてしまう。

「なぜ」「どうして」なんて意味のない、もっと深く尊い世界へ導かれていく。

確かにそこに情熱があるのに

なんか好き。
よくわからないけれど好き。

この得体の知れない「好き」は、根拠のあるそれよりずっと根は深く、

例えば、いつまでも体の片隅に居座っているいつかの本や、音楽、アートにも共通する感覚がある。

そしてそういうものに限って、うまく良さを伝えられなかったりする。

自分の中で目立たなくひっそりしているもの(本当は伝えたいのに伝えきれない「姿を隠しているもの」)ほど、外へ出してあげると光を放つものはたくさんあるのに。

ドキュメンタリー映画の中で、ソール・ライターが困惑するシーンがある。
周囲がソール・ライターに向け、質問や理由を求めていることに対して、彼は「理由なんてない」と。

5年前にはじめて彼のドキュメンタリーをみた時から、ずっと私の中にあり続けた彼の姿だ。

私は、やりたいと思うことをしてきた。
具体的にしてきたことの理由を問われれば、やりたかったから!と答えるしかない。

Saul Leiter

今回、ソール・ライター展を訪れて改めて気づかされる。
「私もこれでいいんだ」と。

目に見えないものがココロ潤す

ソール・ライター展ヒカリエから見る渋谷の街

(日常には、夢も失望も期待も退屈も。掴みきれないドラマがある。)

言葉にできない、伝えられない。
けれど「いつも大切にしているもの」「気づくと抱きかかえているもの」は、誰の心にもあると思う。

これらは二の次にしてしまいがちだけれど、本当は、一番に守らなくてはいけないものだったりする。

見失ってしまった、
なくしてしまった、
そんな経験(後悔)から学べることもあるけれど、できることなら悔やむ前に気づきたい。

自分にとって、大切なものがわかっている人は幸せ。
まだ大切なものが見えない人は、これから見えてくる楽しみがあるから、やっぱり幸せ。
言葉にはできないこういう感覚の部分を、大切にしていきたい。

小さく繊細で掴みにくい「なんか好き」は、
この先もしぶとく体の中に残り、人生物語をかたどる一助となってくれるのは確かだ。

愛用のLeicaとズミルックス

眺めているだけで「なんか好き」があふれてくる、大好きなライカ。
(レンズのキャップが逆さで非常に残念、笑 )

シャッターを押すたびに過去の感覚や想いを蘇らせ、懐かしさと今とを行ったりきたりさせる感情の往復運動は、まるで自分への毎日の水やりのよう。

いつまでも、心がみずみずしくいられる感性の一滴をシャッターに込めて。

今日も。

「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」写真展

2023年は生誕100年

規則正しく並ぶソール・ライターの作品

ソール・ライターが見ていた日常がテンポよく並べられる

ソール・ライターの撮るアンディ・ウォーホル
アンディ・ウォーホル

ソール・ライターの撮るユージンスミス
ユージン・スミス

ソール・ライターの撮るアンリ・カルティエ=ブレッソン
アンリ・カルティエ=ブレッソン

ソールライターの業績

かつてはファッション写真家として活躍していた

表紙を飾るソール・ライターの写真

有名雑誌の表紙も

SAUL LEITER

「SAUL LEITER」とある

ライターが撮影していたポジフィルム

豊かな色彩に心を掴まれる

ソール・ライターのポジフィルム

ひとつひとつじっくり見てても飽きなかった

ソール・ライターが撮るポジフィルム

時間を忘れてずっと見ていられる

圧巻だったスライド・プロジェクション

ソール・ライター展でメモする

静かな感動でメモが止まらなかった

時折見逃してしまうんだ。
大切なことが 今 起きているという事実を。

Saul Leiter

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