《モノと私の物語》
モノは手元にやってきた瞬間から、自分との間にストーリーが宿る。
自分とモノのストーリーは、ある時は心を強くするお守りとなり、ある時は暮らしにやさしさを添える素材となる。
耳に入った瞬間にタイムスリップする思い出の曲、皆さんはありますか?
映像でも文字でも残せない、あの肌感覚を音楽がつれてくる瞬間があります。
今回はそんなお話です。
ぜひ、ご自身の思い出の曲と差し替えて、自分の手帳や日記を見返す感覚で、この記事を読んでみてください♪
昔ながらの商店街を歩いていたら、流れてきた音楽に耳が向いた。
ドリカムの『時間旅行』だった。
指輪をくれる〜
『時間旅行』DREAMS COME TRUE
ひとつだけ2012年の
金環食まで待てるから
とびきりのやつを忘れないでね〜
そうよ〜太陽のリング〜
2012年の金環食なんて、そんなの未来すぎて想像すらせず聞いていたあの頃は(1990年代)、私は毎日自転車をかっ飛ばしていた。
自分の将来も進学のこともなんにも考えていなかった、ただただ楽しかった日々。
ドリカムやミスチルやB’z、たまに男子から借りた布袋(呼び捨て失礼)を、イヤホンで聞きながら塾から帰っていた(もちろんチャリで爆走中に。今なら禁止ですね)
あの頃はまだ父が元気で、
母もまだ絵を描いてて、
雑種のブンブン(犬)も生きてて、
弟の顔もまだツルツルで(笑)
私といえば、遊んでばっかりで何にも考えてなかったけれど。
思春期らしい漠然とした不安定さもちゃんとあって、正と負がバランスよく混じる、すごく人間らしい学生をしていた気がする。
・・・と。
いきなり気持ちをノスタルジーへ引っ張り込まれる。
音楽は危険だ。
けれど、このノスタルジーの旅先で、
私は父の声のトーンを思い出し、
ブンブンの毛並みを思い出し、
能天気だった自分を愛おしく感じることができる。
(CDで音楽を聞く機会が少なくなったが、ケースの傷や歌詞カードの焼けを見ると手放せない)
音楽はたくさん聴いておくべきだ。
メロディーに感覚を残しておくことで、こうした「思い出すほど特別でもない過去の一点」をよみがえらせる種まきとなる。
いつどこで芽が出るともわからない、サプライズなノスタルジーへの入口。
商店街か、旅先か、ソファか、誰かと話をしている時か。
草むらか、ディズニーか、山か、海か。
ノスタルジーへ引きずり込まれたが最後、もう動けない。
私をここまで生かしてくれた、あらゆる時間への感謝に沈む。
そして、愕然とするのだ。
失った時間も人も戻らないということに。
でも、大切なのはここから。
ノスタルジーの中へポンと置かれ感謝と心痛のあいだにいると、「今の自分の立ち位置」が見えくる。
時間が浮き上がって見えるのだ。
毎日、確実に減っていく一分一秒の命。
今日、私は何をハグしよう?
時間を越えた 永遠を信じたくなる
『時間旅行』DREAMS COME TRUE
longer than forever