それは突然やってきました。

ある夏の初め、自分の言葉に異変を感じました。
うまく話せなくなり、思うように文章も書けなくなり、その半月後さらに、相手の言ってることがうまく理解できなくなりました。

夫に病院へ連れて行かれ(病院嫌い)原因を探りながら薬をいろいろ試すも、なかなか安定した言葉がでてこない。

やがて、原因はストレスや日常の圧迫からと判明しました。

みなさんは、感情を失ったことありますか?
ココロが全ストップする経験。

かつて私は、感情の起伏がない人っていいな〜、人生が楽でいいな〜、そんなことを望んでいたりもしました。

私はちょっとのことで傷ついたり、心を揺るがされたり。
決してタフとはいえないタイプです。

予想のつかない突風みたいな心情の勢いに自分を左右され、あげくはこんなことになった。
すべて感情のせいだ。
あぁ、うざい。

そしてついに、うっとうしい存在だった感情は、薬の副作用というカタチでうすれていきました。
心が真っ平らになったのです。

しかし、本来望んでいたはずの「感情のうすい世界」は思っていたものとは違い、つまらなく、自分の鼓動すら実感できなくなってしまったのでした。

「生きてる気がしない。つらくもたのしくもない。かなしくもうれしくもない。」

ごはんを食べて「おいしい」と感じるように、
生きていくうえで、五感は心に味覚を与えています。

けれど感情がなくなると、心の味覚障害になってしまい、五感も表情もなくしてしまう。
生きる喜びまでをも失われてしまう。
これは本当につらいことでした。

この経験から、自身への意識が大きく変わりました。

日々の小さな心の揺らぎに気持ちを寄せて、もう一度、自分の暮らしのアプローチを考え直そう。

そう思ったのです。

これまで、曲がりなりにもライターとして、たくさんの多様な文章を書いてきました。

そこには、はっきりとした数値目的のものも多くありました。
集客、売上、アクセス数・・・。
競争もたくさん。
比較もたくさん。

けれど、ここは違います。

数値でははかれない人としての感覚や、
見落としていた当たり前に、もっと気づいていきたい。

心の温度を感じながら暮らしたい。
周囲の人たちの熱も感じたい。

心が揺れ動くことが
人生にどれだけ豊かさをもたらし、しあわせなことか・・・

心の余白を持つことは
なんと大切なことか・・・

何かを大切に思い、夢中になれることは
どれほどに心の空腹を満たし、体をあたためるか・・・

私の体験と、そこから学んだ「自分へ意識を向けることの重要さ・休息の大切さ」を残しておきたいと思いました。

もしできるなら、日々の摩擦で疲れてしまった、近くの、遠くの誰かに、やんわり届けられたら幸いです。

拙いサイトですが、
いまの私の言葉で、少しずつ語っていけたらと思います。

文脈が肌に合うようでしたら、ぜひ、読み進めてみてください。

縁あってここを訪れてくださったあなたの、インスピレーションのきっかけになれたら嬉しいです。

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