《モノと私の物語》
モノは手元にやってきた瞬間から、自分との間にストーリーが宿る。
自分とモノのストーリーは、ある時は心を強くするお守りとなり、ある時は暮らしにやさしさを添える素材となる。
何年か前、ここ、野反湖にはじめて来たとき(その時も夏だった)、私の仕事とプライベートは行き詰まっており、自分のコントロールもうまくいかず、心の身動きが取れない状態のときだった。
「気晴らしに」と夫に連れられて訪れたそこは、いつまで続くんだというクネクネした道の先にあった。
車に長時間乗せられた挙句、そこに何があるのかもわからないまま、とりあえず駐車場で車から降りる。
降りた瞬間、私の視界に入ってきたのは、
近い空と、突き上げるような山、その視線の下に大きな湖だった。
湖から山が生え、
山が空へ手を伸ばし雲を掴もうとしている、
そんな光景に見えた。
はじめて見る野反湖に、私はわぁっと胸が開いた気持ちになった。
思えば、大自然に反応する準備はすでにできていた。
その前日、Amazonで注文していた『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン著)が届く。
わずか60ページの薄い本。
エアコンのきいたリビングでアンビエント音楽を流しながら、私はその日のうちに本をゆっくりと読み終えた。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でないと固く信じています。
センス・オブ・ワンダー(レイシェル・カーソン)
自然のいちばん繊細な手仕事は、小さなもののなかに見られます。雪の結晶のひとひらを虫めがねでのぞいたことのある人なら、だれでも知っているでしょう。
センス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン)
子どもに話しかけるようなやさしい言葉の中に、自然の神秘を信じる心と力が込められている本だった。
空や太陽、自然、星、森。
そういった地球レベルのものへ心が向かう余裕のなかった当時の私に、この本は語りかけてきた。
(センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性)
今回、何年かぶりに野反湖にやってきた。
確実に時間は経っていて、あの頃とは私の状況もずいぶん変わったはずなのに、当時の追い詰められていた自分の心境がリアルによみがえってくる。
空の高みと、なめらかな水面、すぐそこに立つ大きな山が、あの時の私を運んでくる。
過去の自分と現在の自分のあいだを、湖畔の風が縦横無尽に行き交っている。
辛い、苦しい、と悩み考えていたあの時の私へ伝えたい。
過ぎてみれば、なんてことなかった。
自分の頭の中だけで解決するな、
もっと人を頼りなさい、と。
そして、思った。
ああ、私はいつの間にかあの大変だった日々を乗り越えていたんだな、と。
家を出るときに、「そうだ」と思いついて『センス・オブ・ワンダー』を持ってきた。
私の記憶の中から、セットで引き出される「野反湖」と「センス・オブ・ワンダー」。
ようやく、一緒の記念写真が撮れた。(動画も撮った)
あの頃の私の気持ちを潤し、心の視点を引き上げた二つの癒やしが、今日、ようやく対面できた。